【霹靂布袋戯】の簡単な歴史 

  

    霹靂大事記(中文/繁体字)を元にしておりますので、原文と併せてお読み下さい。
     又、一部「光華」の記事を参考にしましたので、仔細はここ(日本語)をご覧下さい。とても参考になります。

1901年  清朝末期、明治34年に黄海岱氏生まれる。

1914年  黄海岱氏14歳の時、布袋戯を学び始める。

1925年 
日本統治時代の大正14年、黄海岱氏25歳で「五洲園」を設立。「五洲園」は一世を風靡し、南部台湾に広まる。

1945年 日本統治時代の昭和20年。終戦を向え台湾復興。黄海岱氏45歳の時、「五洲園」の黄金期を迎える。
       この時、台湾の布袋戯は全盛期を迎えており、また「五洲園」派の布袋戯劇団が全省に広まった。

1951年 黄海岱氏51歳。子息の黄俊雄氏は19歳で布袋戯を学び終え世にでた。
       台湾霹靂布袋戯劇「史艷文」の上演を開始し、五洲園第二次黄金時代を迎えた。


1970年 俊雄氏がテレビメディアを通して布袋戯番組「雲州大儒侠-史艷文」を放送した。
       台湾のテレビ史上初の97%という超高視聴率を獲得。
      
俊雄氏は、「州派」の生き生きとしたセリフ回しに、当時流行したポップスをBGMに流し、又特殊効果などを加えて放
      送した。


1982年  再び布袋戯のテレビ放送が認められ、黄俊雄氏は息子である強華氏、文擇氏と共にテレビ界に戻ってくる。

      雲林縣虎尾鎮にある実家に、1,000坪の専用スタジオを建設。
        
1984年  【霹靂布袋戯】の"霹靂"は、黄俊雄氏のビデオ【霹靂城】から使用されるようになった。

1992年  強華氏、文擇氏が 「大霹靂節目録製有限公司」を設立。霹靂系ビデオ作品の制作、発行を開始。
        全省のレンタルビデオ屋の90%に納められた。

1994年  【霹靂布袋戯】と契約していた衛星放送会社が倒産。その衛星放送会社を買収する。
        【霹靂布袋戯】迷の強い要望に応えて霹靂会を正式に発足。会員専用誌の発行を開始。
        当時学生などの熱心なファンが5万人入会した。
        また、多くの熱心なファンによりキャラクタ−の後援会が発足した。
       

1995年  霹靂衛星放送テレビ局を設立。
       プログラムは主に布袋戯、歌仔戯などの台湾の伝統戯曲を中心とした内容。
       強華氏、文擇氏によって、全省の普及率は99%になり、約350万世帯で見られた。
       初めて映画的手法を用いた「黒河戦記」を放送したが、大陸の金龍獎特別獎を受賞した。この時の技術が後の作品
      の優れた技術基盤となっている。
       
       
1998年  布袋戯としては初めて台湾国家芸術の殿堂である国家劇院で公演が行われる、という快挙を成し遂げた。
       布袋戯の初めての映画作品【聖石伝説】の制作を始める。

2000年  映画作品【聖石伝説】が台湾で上映される。
        霹靂布袋戯現代劇「火爆球王」の撮影を開始した。
       玉皇朝公司との合作で國際的漫畫家黄玉郎氏と鄭問氏による漫画『大霹靂』を制作し、世界に向けて発売した。
       歴史博物館で霹靂布袋戯教育や演出活動に取り組んだ事に対して、海岱氏100歳を祝って行政院から文化賞
      が授与された。

2001年  古装劇「天子傳記」の撮影開始、その後全省に放送した。
       
大陸で映画【聖石伝説】が上映される。 
       
郵政局とタイアップして【霹靂布袋戯】の切手-『五指乾坤』を発行し、最終総枚数は280万シ−トに達した。
       ゲ−ムソフト「創世霹靂」を発売。

2002年  日本で映画【聖石伝説】が上映される。
       

2003年  郵政局とのタイアップで、第二弾【霹靂布袋戯】の切手-『掌中風雲』を発行した。

       近年のシリ−ズに見られる特徴は、ハリウッド映画の撮影技術、CG効果などをふんだんに取り入れており、伝統と
      新たな現代文化の融合を図っている。
       現在、虎尾スタジオは5,000坪以上の敷地となり、一部を一般に開放しており見学可能。但し、事前予約が必要。